<<どこまでも青いカリブ海、そして中米最初の国『ベリ−ズ』へ>>


 ジャングルの緑に飽きてきた頃、ちょうど目の前に青いカリブ海が開けた。


本当にどこまでも青く、こんな鮮やかできれいな青色は見たことがなかった。

 ここのキャンプ場の近くにはカリブ海に面した[Tulum遺跡](トュルム遺跡)があり遺跡見物と海水浴が同時に楽しめる。

 −ベリ−ズに行ったらカリブ海に浮かぶ島へ行こう!。−
無性にそう思っていた。

 メキシコのイミグレ−ション(出入国管理局)にいたおばさんは気さくな人で感じが良くぜひまたメキシコに来たいと思ったが、ベリ−ズ側は若い女性で1ヵ月で申請し1ヵ月有効のビザを持っているにもかかわらず2週間の滞在許可しか下りなかった。
彼女いわくベリ−ズシティ−で延長ができると言っていたが、観光客にはできるだけ長く滞在許可を与え、どんどんとお金を落としていってもらったほうが国のために良いのになあと思う。

 ベリ−ズという国は中米の中でここだけ公用語が英語なのだが、現地の人々の話を聞いているとスペイン語を喋っていたりする。

この国は日本ではなじみのない国だが1981年に独立したばかりでそれまでは『英領ホンジュラス』と呼ばれていたらしく、それ以前の歴史的流れによるとグアテマラ国内発行の地図ではベリ−ズはグアテマラの自国領されているという国だ。

この国の特徴としては国民の10%ぐらいを黒人が占めていテ、物価は周りの国々よりも高めだがまだまだ開発がされていなく自然が多く残っている。
 最近、日本で見た雑誌でベリ−ズの特集をしていて懐かしく思ったが、今後、多くのツ−リストがこの国を訪問し何を残していくのかとを考えると、ちょっと複雑な気になった。

 ベリ−ズシティ−までの道は途中向かい風で疲れたが道がかなり舗装されていて走り易かった。
シティ−に着いてガイドブックを頼りに宿を探したのだがそこのオ−ナ−が留守でどうしようかと悩んでいると、隣の宿のおっちゃんがうちのホテルもそこと値段は同じだからどうだ?と言われ結局、そのおっちゃんの宿にお世話になることにした。

 おっちゃんは中国人か台湾人で中国語、英語、スペイン語、そして日本語を喋っていた。昔、日本に住んでいたらしい。たぶん、戦争か何かで日本に連れてこられたんだと思う。後で気が付いたことだが宿の前にはちょっとあやふやな日本語で『いらっしゃいませ』と書いていて、別に日本を嫌っているわけではなくむしろその逆だというのが分かり、嬉しかった。

 宿の1階は中華レストランで久しぶりに思いっきりメシを食った。ベリ−ズの名産の『カニ』頼んだのだがこれがめちゃくちゃでかく、それにカタクリ粉でトロミをつけた八宝菜のようなス−プがかっかていた。そして、白メシがまた良い。

ここのところ『米』を口にしていなかったので妙に嬉しかった。白メシを口いっぱいにふくみ野菜を押し込めばそれだけでもう最高にうまい!!!。

いくらでも 食えた。やはり『米』はアジア人の心、パワ−の源だ!!!。ここのレストランも、部屋と同様に汚かったが、セニョ−ラ(奥さん)も日本語がちょっと分かりめちゃくちゃ感じの良いおばさんだった。ただ、シャワ−の水の出がもう少し良かったらもう言うことは無かった。
 
 翌朝、町を歩いていると裸足の黒人が話しかけてきた。
「やあ、アミ−ゴ(友達)。なにを探しているんだい?」
「本屋だ。」
「よし、俺が連れていってやる。どんな本が欲しいんだ?」
「絵葉書とベリ−ズの地図だ。」
「オッケ−。さあ、行こう。」
こんな風な出会いはも慣れていた。そして、彼が連れて行ってくれたのはほとんど人もいなく、寂しい雰囲気だったので十分に注意が必要になってきた。行き着いた先は普通の本屋だったが、置いてあるのは教会に関する本が多く、彼の知り合いも多くいた。

別に悪い所ではなかく、そこで絵葉書と地図を買い、その後、目の前の教会に連れていかれ中を見学した。中には案内をしてくれていた黒人の母と名乗るシスタ−がいて帰り際に寄付金を要求されいくらかあげた。そして、彼等に礼を言い、立ち去ろうとすると

「俺はおまえの友達だ。俺はおまえの手助けをした。だから、ベリ−ズドルで10ドル(日本円で550円くらい)くれ!。」

と、言ってきた。もちろん、断わった。今、1日の生活費が1000円くらいで旅をしているし、そんな大金をあげる訳にはいかなかった。

結局、全くあげないのも悪いと思い、150円ほどだけ渡して別れた。今まで道を尋ねたり、案内してもらっただけでお金など払ったことはなかったし、請求もされなかった。ベリ−ズに入国したての頃はメキシコ人より黒人の人々の方が愛想も良く、特に女性がそうで黒人の多い国はいいなあと思っていたが、ここベリ−ズシティ−ではあてはまらないようだ。

 

<<カリブ海に浮かぶ島『キ−カ−カ−』でシュノ−ケリング!!!>>


 今朝一番の船で[Caya Caulker](キ−カ−カ−)に来た。早速、安宿に荷物を置き散歩をしているとシュノ−ケリングをしないか?と誘われボ−トに案内された。その男によると二人の中国人も一緒らしいが乗り場に着くと中国人というのは日本人でどうも日本人も中国人も現地の人によると一緒らしい。結局、ボ−トは我々日本人男性3人での出航となった。

 初めてのシュノ−ケリングだったので最初は口だけで息をするのに少しとまどったが慣れると簡単で、足ヒレも思っていたよりも便利なものだった。
 目の前には様々な魚が泳いでいて初めて見る魚も多かく、水はもちろんきれいでどこまでも見渡せたしどこまでも青かった。

 泳いでいると不思議な感覚に陥っていくのがわかり自分自身もあたかも魚になった気分になり、時間の許す限り潜っていた。

「シュノ−ケリングでさえこんなにすばらしかったのにダイビングなんかするとどんな気分になるんだろうか?」

残念ながら予算の都合で断念せざるをえなかったので、次回の旅では予算を十分に持って行こうと思いながら島をあとにした。
 

<<ベリ−ズシティ−の緊張!!!>>


 ベリーズのボ−イスカウトのオフィスに行こうと思いオフィスのある体育館らしきスポ−ツ施設のような前まで来てそこにいた人にオフィスの場所を尋ねると「ボ−イスカウトのオフィス? そんなもんはここにはない。それより金は持ってるか? あそこに橋が見えるだろう?あそこに行け!。とにかく行け!。いいもんが手にはいるぜ!。」

 そのいいものというのが何かはすぐに分かった。麻薬だ!!!。そんな所に行ってどうなるか分からないし、麻薬をやってみたいとも思っていなかったのでその場を立ち去った。国によると多くの日本人が麻薬にはまりぼろぼろになっていると聞く。麻薬なんかで人生を台なしにして、夢を追いかけるのをやめるほど愚かなことはないと思う。

 なんとかオフィスを見つけたのだが土曜日で閉まっていた。
もう早くベリ−ズシティ−を抜け出したかった。というのも町中を歩いていると身の危険を感じ、これは口では説明しにくいが感覚的にそう感じるのだ。
とにかく町の中心街の様子がおかしい。今までのどこの国にもなかった緊張がある。歩いていると黒人ばかりが話しかけてくる。最初は相手をしていたが、話の内容はお金をせびってくるだけなので無視するようにした。無視するとしつこく話しかけてくるのもいた。

 持っていたガイドブックによるとこの国は移民の国の為、人種に起因する差別は存在しないというがそんなことはないと思う。町中で裸足で歩いていたり、話しかけてきてお金をせびるのも黒人たちだ。何かを叫んでいるのも彼等だ。彼等はやはり何らかの人種差別を受けているんだと思う。田舎のほうではまったくそんなことは感じなかったのだが…。
 ただ、ベリ−ズシティ−でも中国人や台湾人は妙に親日的だったのがうれしかった。


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