<<1997年2月23日 (日曜日) 13:43>>

 今、南米最南端の都市、プンタ・アレ−ナスにいる。とうとう、ここまでやってきた。いよいよ、火曜日にはTierra del Fuego(フエゴ島)−火の国−に上陸予定だ。9ヶ月の旅も終わろうとしている。残り500kmも無い。パタゴニアの気候と悪路を考えても5日あれば十分な距離だ。フエゴ島へ渡る船の関係でこの町に3泊しないといけないが、ちょうど良い休息がとれた。

 昨日は一日中雨で、かなり寒かったのだが精神的にはまったく余裕だった。心にゆとりがあった。以前ならかなり厳しかったと思うけど、今ならどこでも走れる気がする。何故かそんな気がする。やはり、ペルーアンデスのナスカ〜クスコの悪路のおかげでパタゴニアも含めそれ以降のダ−トも世間で言われている程の問題ではなかった。

 ここパタゴニアでは自然の素晴らしさを思い知らされた。なんで、こんな素晴らしい世界が存在するのか?と、いつも自問していた。神々が創造した大自然の神秘か?湖の色一つとっても色とりどりだ。どこまでも冷たく青いところもあれば、青色がかった白濁色の所もある。氷河も想像以上にすごく、あの神秘的な青もまたなんとも言えない。最近、どうも青色や緑色が好きになっているような気がする。昔は赤色が好きだったのに・・・。

 そういえば、日本へはどうやって帰国しようか。リマから日本ならUS$1000程で安いが、やはりコロンビア、ガテマラ、メヒコなどの都市に寄って帰りたい。ただ、それは日程的にも厳しそうなので結局はどうなるかは分からない。まあ、いずれにせよ、あと二週間も経てば日本にいるというのが信じられない・・・。全く実感が沸かないがウスアイアの町に着けば嫌でもそんな事を感じるだろう。

 今日の野菜炒めはかなり美味かった。ここの宿は西洋人が多いがみんな食事は品祖なもので、たいした物を食べていない。だから町田さんと作った単なる野菜炒めでも宿中に美味い匂いを漂わせ、みんなの注目を浴びた。それと気になったのがここの宿ではあまりみんな挨拶を交わさない。今までに泊まってきた宿ならすれ違う度に、しつこい!と思うくらいみんな挨拶好きだったのに。

 <<1997年2月25日(火曜日) 21:15>>

 早朝、ここ一ヶ月ずっと一緒だった町田さんと別れ、彼はAM8:00から48時間かけてサンチャゴに到着するバスに乗った。
 こちらはというと、AM9:00に出航の船に乗り込み旅のラストステ−ジ・フエゴ島にAM11:30に上陸した。船内では昨日船のチケットを買いに行ったときに偶然知り会ったバイクで世界を走っているという中地さんと一緒だったので暇を持て余すことは無かった。推定年齢が40歳くらいで14年間働いていた会社を辞めて、世界へ旅だったという。この旅でそういう方々に何度も出会った。

 マゼラン海峡は思っていたほどゆれることも無く船酔いの心配は無かった。フエゴ島のポルベニ−ル−(未来)という町は思っていたよりも大きな町だったが、いよいよ地の果てに来たっていうフインキは十分にかもし出していた。中地さんに昼食をおごってもらい、その後さすがにバイクと自転車では一緒に行動は出来ないのでここで別れた。

 フエゴ島の初日は100kmほど走って野宿した。13:00くらいから走り始め、19:00くらいまでの間によくも100kmも走ったと思う。ちょうど今までは向かい風や横風だった西もしくは北西風が今日は終日追い風になって味方してくれた。
 島には何も無い。全く。敢えて言うなら羊がいるくらいか。いよいよ残すところ、370km程までに迫ったが、ウスアイアの町の直前はしばらく西へ進むので多分向かい風になると思う。その為にも追い風の間に距離を稼いでおきたい。風が微風になってきたと思っていたら雨が降ってきた。明日は晴れてほしい。

 <<1997年2月26日(水曜日) 21:40>>

 今日はよく頑張ったと思う。メ−タ−の記録は走行距離:181.73km、走行時間:8.0時間、最高速度71.0km/h、平均時速22.7km/hとなっていた。追い風にも助けられたけど、かなり良い記録だと思う。ほとんど追い風でほっておいてメ−タ−は30km/h、40km/hと加速していく。
 朝ものんびりと9:00くらいに出発して昼食時に2回もコ−ヒ−を沸かし、20:00まで走った。余裕のある走行だったが、この辺りは緯度も高いのでなかなか日が暮れず、ついついオ−バ−ワ−ク気味になるまで走ってしまい、そんな事は十分に分かっていたが、最後だと思うと思いっきり走らずにいられなかった。

 夕方、どこかキャンプできそうなところを探したがそんなところは全く無かった。周りはほとんど地平線か水平線だ。地図に家が2軒ほどある集落があると、書かれていたのでとりあえずそこまで行けば何とかなると思い、頑張ったが、行ってみるとそれは高級そうなホテルだったのでそのまま通りすぎた。今までの経験上、ここがパタゴニアであろうと関係無く、たいてい「汚い奴来るな!!!」という目で見られるのがおちだったからだ。たとえお金はあっても見た目で 断られたことが何度かあった。確かに日本円にしたら大した金額でもなくなんとか泊まれそうなホテルでも、こちらの世界では分類上高級ホテルに属するらしく、そういった所では格式を重んじているのか我々のような貧乏そうで汚らしい格好をしている人種は受け入れてくれないらしい。そう、たとえお金があったとしてもだ。たとえ、受け入れてくれても全く歓迎されないお客になってしまうっていう事を嫌っていう程この旅で体験していた。

 そのすぐ近くでなんとかテントを張れそうな所があったのでそこにテントを張ったが、ほかの国々なら絶対に人目につかないところを探しテントを張っていたのに、どうもパタゴニアに来てからはそんな事をあんまり気にしなくなってきている。それだけ安全なのかもしれないけどあんまり良い傾向ではないように思う。ここで油断したらせっかくのここまでの旅も終ってしまうし、なんと言っても今まで数々の危険な場所を通り過ぎて来たのに、この平和なパタゴニアで何か遭っては死んでも死にきれない。

 もう、ウスアイアまで200kmをきっていると思う。普通なら2日で行ける距離だがラスト100kmくらいがUp−Downを含んだ山岳地帯らしく、おまけに追い風となっているのでやっぱり3日くらいかかると思う。明日、100km走り、残りを二日間かけて走り、全てが終わる。

 ここ毎日、今までのことや資金稼ぎのバイトのことなどを考えると、何故か涙が出てきて思いっきり歌を歌うしかなかった。もう、旅が終わってしまうけどウスアイアの町に着いたらどんな気持ちになるんだろうか?

 今日は何度も虹を見た。周りの空は明るいのに雨雲の下は雨が降っている。ほぼ360度が地平線に近いのでそこら中に雨雲が発見でき、何度かは逃げ切ることは出来たが、何度かは雨にあたられた。それでも雨が降ってくれたおかげで180度の円を描いた虹を見ることも出来た。もう何も言うことは無い・・・。

 <<1997年2月27日(木曜日) 21:03>>

 明日はいよいよ最終目的地のウスアイアだ。フエゴ島内は5日間かかると思ったが、今日走ってみて、とうとうウスアイア手前65km地点を示す看板に到達し、4日間で行けるのがほぼ確実になった。その看板を見たときに今日はここでキャンプをすることにした。

 今朝、出発そうそう食料の買出しや水の調達、水は今まで買っていたがこの辺りでは水道の水も心配なさそうなので、交番のに行って蛇口から汲んできた。
 情報の通り、ウスアイアの手前105km手前から砂埃の立ちこめるダ−トに変わった。交通量の割合から考えてもこの辺りはアスファルトにしてもらわないと、砂埃で前が見えなくなるのでいつ車にぶつかってもおかしくない状態だ。もうこうなったら道の良し悪しは考えずひたすら右側だけしか走れない。9ヶ月間も髪の毛を切っていないので相当伸びていて、おまけに毎日砂埃を浴びているので、もう頭には砂がたまっていてざらざらしている。早く思いっきりシャワ−を浴びたい。
 もうすでに西へ進路を向けてるのでそろそろ向かい風になっても良い頃なのに全然風が無い。今日は曇っているからだろうか?まあどちらにせよ、向かい風で無いのはありがたい。
 明日の晩飯は何にしようか?ゴ−ル記念に思いっきり肉でも焼こう。


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