ソウルで乗り換え、やっとロサンゼルスに着いた。

 日本時間では夜中の筈なのに、日付け変更線を越えたのでまた6月8日の朝だ。右も左も分からないままとにかく日本人街であるリトル東京のすぐ近くのホテルにタクシ−で向かったが、着いた所は昼間なのに人の気配もなく静かで不気味だった。やはりアメリカ、いきなりでびびってしまったがなんとかホテルを見つけ荷物を運び入れ一安心だ。飛行機での長旅の疲れか、いつの間にかベッドで眠っていた。 

 眼が覚めて散歩がてらに外をフラフラとし、ス−パ−で買い物をしようとすると驚いた事に「オ−イお茶」のペットボトルがあったが値段は6ドル(660円)とめちゃ高く、他の日本製品もやはり高かったが全体的な物価は日本より安い感じだ。円高のおかげだろう。
 時差ボケの為かその夜はなかなか寝つけず、次の日もそんな感じで時差ボケ解消に徹した。

 ロスで4泊して、いよいよ自転車に乗ると、思っていた以上にフル装備の自転車は重く「こんなんでほんまに走れるんか?」と、内心思っていたが、ロスの街を抜け西海岸に沿って南下していくうちに、まあ何とかなるだろうという気持ちになってきた。

 アメリカで驚いたのはマクドナルドのハンバ−ガ−にス−パ−サイズというものがあり、普通のものより一回りも二回りも大きく、また、たいていのファ−ストフ−ドでは飲み物はおかわりが自由だった。

 いよいよメキシコに入国だがメキシコはアメリカと違いスペイン語だ。一応ほんの少しだけ日本で勉強をしたが全く覚えられず、まあなんとかなるだろうと持ち前の楽天的な気持ちで気楽に考えていた。

 メキシコの入国は非常に簡単で唯回転扉を2回通過すれば良かっただけで、どうも72時間以内なら自由に出入りできるらしく、もちろん、それ以上滞在する予定なら申告さえすれば問題は無い。メキシコとアメリカとの国境に石碑があったので写真を撮ってメキシコへ入国した。

 メキシコに入った途端、あの懐かしいアジアの匂い?がした。というのは、タイやマレ−シアと同様にメキシコの路上には多くの犬などの死骸がころがっていて、独特の匂いを漂わせていたのだ。

 日本の犬と違いこっちの犬共は遥か遠くにいてもこちらを見つけ「何か怪しい奴が来たぞ!よし、おどかしてやれ!」とでも、相談してかどうか分からないが大抵の犬共が襲いかかって来る。それは別に自転車に限らずバイクや車、果ては大型トレ−ラ−にまで襲いかかっていくのだ。そして、トラックなどに挑戦していった犬共は無残にもやられ「キャイ−ン」「ドサッ」という具合に路上に転がるのだ。
 今回の旅でも何度か目の前でそういう光景を見て、その度には可愛そうだなあとは思ってしまうのだが・・・。

 メキシコのイメ−ジはサボテンだったが始めの頃、どこにもサボテンなどは無くやはり噂は噂だけなのかと思っていたのだが、南下していくうちにどんどんサボテンが出現し始め、やはりメキシコはサボテン王国だと思わざるを得なくなった。
 メキシコ北部にエンセナ−ダという町があるがその手前で衝撃的な出来事に出会った。
昼頃、右前方に墓石らしきものを発見し、まさかとは思ったがよく見るとやはりそうで初めひらがなの「の」が見えた。

 − 嘘!!! −

と、思いつつも自転車から飛び降りそばに駆け寄った。
やはり、日本人でその方は世界一周に旅立ち志半ばにして、事故か何かでこんな人の全くいない所で寂しく亡くなっていったかと思うと無性に涙が出てきて止まらなかった。
さぞかし無念だったと思う。しばらく、その場から動けなかった。

 −もし、同じ様に死んでしまったらどうしようか?−

その時に初めて残された人々についてかんがえた。

 その方のご冥福をお祈りします。

 メキシコのバハ・カリフォルニア半島をメキシコ南下ル−トに選んだのだが、ここには見渡す限りの地平線が広がり、とにかくどこまでも石とサボテンしかない荒野が続いていた。荒野というのは何故か妙に旅人の心を震わせるものがあり、ふと立ち止まってみるとそこは音の無い世界で、あるとすればそれは風の音か忘れた頃にやってくる車の音ぐらいだった。

 このサボテンランドではそこにある物全てがなんとも奇妙で、全く不思議な感覚に陥ってしまい、夜ここでテントを張りたき火を目の前に満天の星空を眺めていると、もうそこはこの世の世界とは思えず自分自身がどこか異次元空間にまぎれこんでしまったかの様な錯覚すら覚えてしまう。それ以後、これほどすばらしいキャンプはまだ体験していない。

 ちなみにこの辺りの昼間は40度以上にもなるのだが、日が暮れるとかなり冷え込み、それにもましてかなり乾燥しているのでシャワ−を浴びなくても夜には体はサラサラとしていて気持ちよく眠れた。

 地図を見ていると道が2本あり、一方はアスファルトでアップダウンが激しく、もう一方は近道で平らな道だがダ−トだった。まだ、旅の始めだったということもあり、かなりアップダウンに苦しめられていたので安易にダ−トを選んでしまった。

 それは道というよりただ車が通った跡という感じの道で砂も深く、とてもじゃないけど自転車には乗れず、すぐに後悔した。

 初日は人のいる所にたどり着いたのは暗くなってからで、とりあえずその集落の隅にテントを張らしてもらうことができた。集落といっても家が10件も無いような所だが、小さな店があり、「とにかく何でもいいから食べたい」と、言うとクラッカ−の上にシ−チキンを乗せた物をくれた。
そこのおばさんはぶっきらぼうではあったがめちゃくちゃ親切だった。

 翌日、気を取り直して出発したのだがとにかく道がひどくほとんどガレ場や砂場で、とてもサイクリングというものではなかった。ひたすら押しぱなしで頑張ったのだが、結局道に迷い、朝出発した付近になんとか戻って来ることは出来き、再出発しようとしたが今の精神力では駄目だと思いその日の活動は終了した。

 翌朝、いつもより早めに出発し、前日とは違う道を選んだにも関わらず、道の状態は相変わらずで、そんなことよりも目の前の道が正しいのかどうかだけでも知りたかった。水と食料の残りが少なかったこともあり、かなり精神的に参っていた。

 −もう駄目だ! こんな所で死んでしまうのか!−

と、本気で思い、坂道がしんどいという理由だけでダ−トを選んだ自分自身を恨んだ。
本当に愚かであさはかだった。


            

<<ダ−トの道からの脱出!!!>>

 

いくら叫んでも何の応答が無いのは分かっているが何かを叫んでいないと『死』という恐怖に押つぶされそうだった。
 「あっけない幕切れやな−。まさか、旅を始めて1ヶ月もせんうちに終わってしまうとは…。」と、だんだん本気で思うようになってきたけど、自転車を押すしか方法はない。
そんなことばかり考えていると遥か前方に『キラッ!』何か光る物がみえた。

 −今、確かに車か何かが見えた!ヤッタ−、人や、人がおる。助かった!−

どこにまだそんな気力があったのかと思う程、急に元気が出てきて光りの見えた方向へ思いきり自転車を押した。(道が悪くとても乗れる状態ではなかった。)

 −助かった−!−

そこには数人の人々と車が2台あった。とにかく大声で
 −オラ−(やあ−)。ブエナスタルデス(こんにちは)−
 
 あいさつ程度のスペイン語しか分からなかったが身振りや手ぶり、地名などを言っていると何とか通じたみたいで、[San Juanico](サン・フアニコ) に行きたいと言うとすぐに車に自転車を乗せてくれた。

 途中に民家がありそこにコ−ラが売っていたので買った。うまかった。そこでタコスを2つもらい、今日初めてのまともな物にありつけた。今日はついていると思った。朝から車と1台も出会わなかったのでもうこの道では車とは会わないと思っていたためだ。

 やはり車は速い。ぐねぐねとした道を行き、やっとのことで海岸に出た。
なぜかそこで降ろされた。心の中で
 −なんで?みんな[San Juanico ]に行くんとちゃうん?−
と思いながらも、
 −この先が[San Juanico] への道だ。−
と、言われ、そのまま彼等と別れた。

 世の中、そんなに甘くはなかった。
しかたがないので今日初めて時速30キロ以上のスピ−ドでその道を急いだ。というのもすでに19:30くらいであまりにも遅すぎる。幸いここ数日、日没が21:00位だったのでなんとか次の村には明るいうちに到達できそうな気がした。やはり30分もしないうちに村に着き、まず、そこで寝てもいいか?と聞き、コ−ラを買って飲んだ。
 
 みんな自転車の周りに集まってきて、さっそく辞書を片手に会話が始まり、望んだとおり今日はこの村の幼稚園のような小屋で寝かしてもらうことになった。
 日本から持ってきた絵葉書を一人一枚ずつあげそれぞれに彼等の名前をカタカナで書き、[Shinichi Tomooka  Osaka、Japon] と書くとみんな喜んでくれた。こういうとき、やっぱりダ−トの道を選び地元の人々と交流が持てて良かったと思う。

<<荒野の中のオアシス>>

 今、[La Purisima](ラ・プリシマ)という何も無いが緑に囲まれた静かなオアシスにいる。

地元の人に聞いて来たレストランは看板も無くどうみても民家のようだがとにかく中へ入ると、テ−ブルが3つありなんとなくレストランらしかった。そこでメシを食ったがめちゃくちゃ安い。パンも安いしビ−ルも安い。さすが田舎!!!、何も無いだけあって、人の欲までもないようだ。

 こんな何も無い所でゆっくりするのもいいもんで今まで緑と言えばサボテンしかなかったのとは違い、ここには木々の緑があり、のどかすぎて良い。

 今回のダ−ト道だが、なんとか脱出できたから良かったけど、もしあそこで助けてくれる人達がいなかったら今ごろどうなっているのかを考えると恐ろしい。
 世の中には砂漠の中を歩いたり、リヤカ−をひっぱたり、ラクダとともに歩いたりしている人がいるがそれらをクリアしている人々は並大抵ではない根性と精神力の持ち主だということがよく思い知らされた。

 この頃よく考えるのは、とにかく旅に出て良かった。
毎日、ペダルをこぐだけだけどその合間にいろいろな事があり、いろいろな景色を見て、いろんな物を食べ、いろんな人々と出会い、話し、そしていろんなことを考える。

 旅に出てすでに3週間。ちょっと前までは日本に一時帰国していた夢を見ていたが、やっと最近こっちでの夢をみるようになってきた。


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