<<バハ=カリフォルニア半島の縦断を終え、いよいよメキシコ本土へ>>


 昨日、泊まったホテルは最悪で、部屋の電気をつけた瞬間に部屋中のゴキブリたちが一斉に動き出し、あんな数のゴキブリ(大)は見たことがなかった。
まあ、それなりに安い部屋なのでと、我慢して荷物を置きメシを食いに行った。

 そして、帰ってくるとファンが故障か何かで止まっていた。
すでに夜も遅かったのでホテルの従業員を起こすのも悪いと思い、そのままそこで寝ることにした。部屋の中は夜中といえど、かなり蒸し暑く、洗濯もしたかったがよけい蒸し暑くなると思いやめておいた。電気を消すとゴキが出るので消せずに、明るい部屋の中、あまりにも暑い為、なかなか寝つけなかった。

 朝は早く目が覚めたが体は重く走行中も上手く調子に乗れなかった。そして、下痢。途中で2度も道端にしゃがんだ。もし、泊まっていたホテルのファンが壊れていなかったら今日は一日ゆっくりしていたと思う。

 自転車をこいでいると、ふとしたことに興味が沸く。
今のところ荒野ばっかしなので、日没や植生などに特に目がいく。南に行くにつれ日没時間も早くなったり、サボテンも最初の頃はあまり見かけなかったが今では飽きるほどある。とうもろこしも北部では全く見なかったので、どこでタコスの原料を栽培しているか?と思っていたら南に行くにつれてちゃんと栽培していた。ロスにいた頃、朝は雲が多かったが昼からはいつも快晴だった。バハ・カリフォルニアの北部もいつも快晴。しかし、この頃は確かに暑く、晴れてはいるが空には雲が浮かんでいる。やはり、もっと南に行けば雨も降るんだろう。

 とうとう、[La Paz](ラ・パス)。バハ・カリフォルニアの終点に来た。長かった。厳密にはもっと南があるがもう十分で、早くメキシコ本土へ行きたい。メキシコはもともとバハ・カリフォルニア半島とユカタン半島だけを走る予定で、もしここでゆっくりしていると南米をまわる時間がなくなってしまうからだ。

 

<<メキシコシティ−にある日本人のたまり場『ペンション・アミ−ゴ』>>


船で18時間、バスで17時間、合わせて35時間の長旅だった。

 メキシコシティ−では日本人旅行者の溜まり場である『ペンション・アミ−ゴ』にお世話になり、ゆっくりと久しぶりに日本語を喋るはずだったのだが、今までの無理がたたったのか激しい下痢に襲われてしまった。
 とにかくひどい下痢でトイレから帰ってきてもまたすぐにトイレに行きたくなる。
 こんなことを数時間繰り返すと、最後のほうでは紙で拭いていると痛くなってくるし、紙も勿体なかったのでタイに行ったときのように手で拭いてその手を水で洗い流すようにしていた。そうするとかなり気持ちが良く、その後の下痢のときはいつも手で拭いていた。

 次に、薬を呑み、熱を下げる為に持っている服を全て着込んで横になったが、なかなか寝付けずボ−ッとしていると急に吐き気がし、トイレに駆けこむとおもいっきり吐き、同時に下からも出し、上からと下からとで体内にあるもの全てを出してしまった。

 体中が熱くなり汗も出てきた。落ち着いてきたので部屋に戻り体温を計ると37.5度まで下がっていて、とりあえず一安心だ。
 その後もトイレに数回行ったが全てが水分のような便しか出てこなっかたがどうやら下痢は治まったようだ。



<<自転車仲間の夫婦との出会い>>

 ここ、『ペンション・アミ−ゴ』で偶然にも自転車で旅をしている夫婦に出会った。やはりこういう出会いは旅の励みにもなるしうれしかった。その夫婦は3〜4年かけて世界一周に出ているらしい。サボテンを原料にしたお酒『テキ−ラ』を飲みながらいろいろな話をし時がたつのを忘れてしまった。
 メキシコシティ−の町はスペインの植民地時代の建物が多く、どれもがすばらしく毎日街中をフラフラとしていたのだが、ただメキシコシティ−の地下鉄は強盗が多いらしくカメラを持ち歩かなかったのであまり写真が撮れなかったのが残念だった。

 実際、ペンションにいた女性旅行者は地下鉄でかばんをナイフで裂かれ中身を取られたらしい。

 近くにテオティワカンという古代文明の遺跡がありサイクリスト夫婦たちと見物に行った。

さすがこのあたりでは最大級のものというだけあって見ごたえはあったが、いざそれらのピラミッドに上ろうと近くに寄るとほとんどがコンクリ−トに固められ、あまりにもきれいすぎて今ひとつ重みの無い石の塊のようにしか思えず、ちょっと拍子抜けな感があったが、それでも想像力を働かし当時の頃を思い浮かべ古代文明の世界にひたるには十分すばらしかった。

 いよいよメキシコシティ−を出発するときがきた。サイクリスト夫婦とおたがいの旅の無事を祈り、そして日本での再会を誓い別れた。おたがいのル−ト上もう日本でしか会えないと思っていたのだが、チリでまさかの再会を果たすとはこのときは思ってもいなかった。

<<ユカタン半島のマヤ遺跡群>>

 今、ユカタン半島のメリダという町にいるがとにかく暑い。スコ−ルもあったが時期的なものもあったのかそれほどたいしたことはなかった。バハ・カリフォルニア半島のサラサラとした暑さとは違い、蒸し暑い。

 この周辺のジャングルにはマヤ文明の遺跡が数多くあり今だ発掘されていないままのものもあるという。日本を出る前は現地でガイドブック(英語かスペイン語のもの)でも買ってマヤ文明の遺跡について勉強しようと思っていたのだけれど、いざここに来るとそんな気は何処かへ失せてしまい、片っ端から遺跡を巡り全てのピラミッドに登り、日本語のガイドブックを読んでおしまいというという感じになってしまっていた。

 もともと、ジャングルの中の遺跡群を発掘したので遺跡と遺跡とをつなぐ道はたった1本の道しかない。その様子は旧約聖書に出てくるモ−ゼの十戒の水を2つに割るシ−ンがあるが、まさにそんなかんじで、そんな道がどこまでも続いている。

 幸いほとんどがアスファルトなので全く問題はなく、ふと立ち止まるとそこら中でさまざまな鳥や獣(たぶん猿類)の鳴き声がして、あたかもジャングルのど真中を散歩しているかのような気になり楽しかった。 

 ある時、いつもの様にそんな感じでサイクリングを楽しんでいるといつまでたっても目的地に着かないことがあった。もともと地図上には道はあるのだが現地の人に聞いてもそんな道は無いと言われ、結局60キロ以上多く走るはめになったのが原因で、テントを持っていたので寝ようと思えばどこにでも寝れたのだが、両サイドがジャングルでなかなか野宿する所も見つけられずとにかく走り続けることになった。

 辺りはすでに暗く、多少不安はあったがいつもは星を見にくくしている月がこの日は目の前の道を照らしていてくれて有難かった。それ以上に良かったのは月の光には程遠いが、蛍が舞っていてわずかながらの光を放っていてくれた。

 −夜、走るのも悪くないな。−



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